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大蔵谷(明石市)のいわれ
2012年09月
出てきた「兵庫の伝説」を読んでいたら、明石市の大蔵谷についての事が載っていた。
速鳥(はやとり)という話しです
明石に大蔵谷というところがあります。
むかしその大蔵谷のおくに、駒手の御井という泉がわいていました、その泉のほとりには、一本のクスノキがありました。
ある時どうしたことか、このクスノキが日に日にのびて、あれよあれよという間に雲の上までのびてしまいました。
朝もう日がのぼっても、その木のかげで、淡路島はなかなか夜が明けず、夕方、日がかたむきかけると、大和国(奈良県)は、早くから夜になってしまうといわれました。
「ふしぎなことよのう、この泉の水の中に、ふしぎな力がやどっているのではないかのう。」と、おどろいてばかりいた村人たちも、日がたつにつれて、大きくなりすぎたクスノキにこまってしまいました、そこで、村人たちが集まって相談をして、そのクスノキを切りたおすことにしました。
切りたおすといっても、とてつもない大本です。毎日毎日、何十人何百人ものきこりが集まって、やっとのことで、切りたおすことができました。
クスノキがたおれると、村はぱっと明るくなりました。村人たちは大喜びでした。
ところが、こまったのが、この本の使いみちです。村人たちは、また、集まってちえをしぼりあいました。でも、なかなかいいちえが出てきません。そんなある日、白いあごひげをのばした旅すがたの老人があらわれて「木のみきをくりぬいて、丸木ぶねをつくればよい。」と教えて、立ち去っていきました。村人たちは、さっそくその仕事にとりかかりました。なにしろ、雲の上までごとくクスノキですから、みきをくりぬくのに、何十日何百日とかかる大仕事でした。やっと一そうの丸木ぶねができ上がりました。それは、今までだれも見たこともない大きなふねでした。おおぜいの船頭が乗りこみ、かいをそろえてひとかきすると、ふねは、鳥が飛ぶように水の上を走りました。
「これは、雲の上までのびた大クスノキのふしぎな力がのりうつっているのにちがいない。」と、このふねに「速鳥」という名をつけました。
その後、このすばらしいふな足をもった速鳥は、駒井の御井からわき出る清水を、天皇の朝夕の食事にさしあげるために使われるようになりました。
ところが、ある日、明石海峡の潮の流れにおしもどされて、さしもの速鳥も、とうとう天皇の食事の時こくにおくれてしまいました。
「どんなことがあっでも、飛ぶように走ってこそ速鳥だ。天皇の食事の時こくにおくれるようなものを、どうして速鳥といえよう。」と、人びとが悪口を言いました。
そんなことがあってから、こしのふねで水を運ぶことをやめてしまったということです。
明石の大蔵谷という地名は、このクスノキのかげになって「大くらがり」であったことからつけられたものだといわれています。